素材提供 いやぽぽ様
「ドイッチェラント」
「(C)2002 SD EnterNET/SUCCESS/GAMESPACE24」
排水量1万トン以下、備砲は28センチ以下というベルサイユ条約の制限下に、ドイツ海軍が最初に建造した主力艦で、当初の予想と反して、モニター(小さな排水量に大型砲を少数搭載して低速ながら大火力を有した沿岸警備用艦)的戦艦ではなく、外洋における通商破壊を主任務として、戦艦より優速で巡洋艦よりは攻撃力が優れた艦とされた。完成時、正式には装甲艦と呼ばれていたが、のち重巡洋艦に改められた。一般には「ポケット戦艦」と呼ばれる。排水量を制限一杯に収める為に、船体構造に溶接を多用し、主機にディーゼルを採用、28センチ砲を3連装2基の砲塔に収めるなど、当時としては数々の画期的アイデアが採用された艦で当時列国の注目を集めた。特に隣国フランスはこのクラスに対抗する為に性能的にひと回りすぐれ、かつ大型の戦艦「ダンケルク」Dunkerque級を建造している。ドイツ主力艦の特徴は魚雷発射管の装備で、このクラスにも後部第2甲板両舷に53センチ4連装発射管を装備していた。しかし、新開発のディーゼル機関は振動、故障が多く、ドック入りの時間が多くなって期待どうりの活躍を出来なかった面も少なからずあった艦系でもあった。
1番艦「ドイッチェラント」Deutschland
1929年起工、33年4月1日就役。40年2月重巡洋艦にカテゴリーされたのを機に艦名を「リュッツォウ」Lutzowと改められた。これは本艦の喪失が国民に与える影響などを考慮したため。大戦においては対空兵装の強化、レーダーの新設などの改装を受けて、当初は北大西洋で通商破壊に活躍したが連合軍の航空兵力の充実にともない、バルト海方面に移動、45年4月にシュヴィーネミュンデで英空軍機の爆撃を受け損傷着底、その後は敗戦までの1ケ月弱を砲台として使用された。
2番艦「アドミラル・シーア」Admiral Scheer
装甲艦2番艦として1931年に起工、34年に完成した。「ドイッチェラント」と基本的には同じ性能だが、艦幅がやや大きくなり、排水量も増えている。完成時の大きな違いは艦橋が「塔型」とされた事で「ドイッチェラント」の改造型といえる存在。もっとも39年から40年にかけての改装で艦首を「クリッパーバウ」形状に、艦橋も「ドイッチェラント」に準じた形に改められている。大戦中は大西洋での通商破壊に活躍し、45年3月キールの軍港に停泊中、英空軍機の爆撃で転覆して一生を終わった。
3番艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」Admiral Graf Spee
装甲艦3番艦として1932年起工、36年1月6日に就役した。「アドミラル・シーア」とほぼ同型で艦橋構造など同じだが、後マスト等、細部には相違があった。大戦では初期からその長大な航続距離を生かし南大西洋で通商破壊に活躍したが、英軍の大規模な索敵により1939年12月13日、ついに発見され南米ラプラタ沖で英巡洋艦エクセター他2隻と交戦、相手にも被害を与えたが自艦も損傷を受け14日早暁、中立国ウルグアイのモンテビデオ港に入港し3日間同港に止まった。その間、本艦の去就を世界中が注目したが、17日午後出航、ラプラタ沖で自沈して果てた。
「アドミラル・グラーフ・シュペー」
諸元 排水量 |
「ドイッチェラント」 基準11,700t |
「アドミラル・グラーフ・シュペー」 基準12,100t |
NFスペック | クラス | レベル | 価格 | 耐久力 | 基準排水量 | 満載排水量 | 射撃管制装置 | 機関 | 偵察機 | 乗員数 |
ドイッチェラント | PS | 45 | 616,000 | 11,200 | 5,752 | 14,000 | 75 | 24 | 1 | 9 |
NFスペック | 武装1 | 武装2 | 武装3 | 武装4 | 武装5 | 武装6 | 武装7 | 武装8 | 武装9 | 武装10 |
ドイッチェラント | 230 | 49 | 49 | 49 | 49 | 49 | 49 | 49 | 49 | 230 |
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