1911年(明治44年)イギリスは「巡洋艦委員会」を設置して巡洋艦のこれからの役割について検討を始めた。これまでも偵察を主任務とした小型巡洋艦は作っていたが、大型艦と艦隊行動をとったり、高速化された駆逐艦隊の指揮をとって敵艦隊に殴りこみをかける能力に欠けていた。委員会の出した結論は「小型ながら兵装を強化した強力かつ高速の巡洋艦」であった。いわゆる軽巡洋艦のさきがけとなる「アリシューザ」級の誕生であった。
※第一次大戦前後の戦闘艦の概念を変えたイギリス海軍の画期的新鋭艦、戦艦における「ドレッドノート」巡洋艦における「アリシューザ」この2隻の名前は覚えていて損はないでしょう。
それまでの巡洋艦の速力は25ノット前後であったが、1912年度計画で起工され14年8月11日竣工した「アリシューザ」はいきなり30ノットを目指し、兵装の大型化や排水量の増加により28.5ノットにとどまったが、新機軸の軽巡洋艦は観戦武官をイギリスに派遣していた日本海軍の目に止まり、早速1916年度計画に「天龍」「龍田」日本近代軽巡洋艦の祖となる2隻を組み入れた。排水量3,230t速力33ノット、14cm単装砲4基53.3cm3連装魚雷発射管2基の要目で完成した2隻は、水雷戦隊旗艦および主力艦隊直衛用に同型艦8隻が計画されたが、アメリカ軽巡「オハマ」級の概要がわかったために建造を中止、「古鷹」級の建造に向かう。しかし、大型巡洋艦は数が揃わず「天龍」級の拡大版として基準排水量の5,500tから「5,500t級」と称される軽巡洋艦「球磨」「長良」「川内」各級の建造が1917年度から始まり、「球磨」級5隻「長良」級6隻「川内」級3隻が次々と建造されて行いった。「天龍」級と比べて余裕の出た排水量のおかげで、戦隊旗艦としての設備も充実し、主砲の14cm砲も7基と増え、両舷に各2基づつ配置された53.3cm連装魚雷発射管は片舷4射線を確保、速力も36ノットと高速になり、偵察機搭載により艦隊随伴時の「目」の役割もこなす、万能艦として期待された。
1940年の開戦に向けて老朽化の進んだ「5,500t」級の各艦は、兵装の強化等の改装により速力も落ち、開戦当時は旧型艦となってしまっていたため主に輸送任務に就く事が多く、「北上」「大井」の2艦は「斬減作戦」の一翼を担うため、主砲3門を降ろして両舷に61cm4連装魚雷発射管5基をずらりと並べ、次弾装填装置は搭載されなかったものの片舷20射線、両舷あわせて40射線の「重雷艦」として生まれ変わり、第一艦隊の配備されたが、時代はすでに航空攻撃主流に変わっていたため本来の性能を発揮する機会はなく、その後「回天母艦」として改装された「北上」だけが終戦を迎えることが出来た唯一の艦となった。
同型艦
「球磨」級 球磨 多磨 大井 北上 木曽
「長良」級 長良 五十鈴 名取 由良 鬼怒 阿武隈
「川内」級 川内 神通 那珂
諸元 排水量 |
「球磨級」 基準5,100 |
「大井」(重雷) 基準5,860t |
NFスペック | クラス | レベル | 価格 | 耐久力 | 基準排水量 | 満載排水量 | 射撃管制装置 | 機関 | 偵察機 | 乗員数 |
球磨 | CL | 38 | 280,000 | 6,700 | 3,160 | 6,600 | 45 | 45 | 1 | 8 |
球磨改 | CL | 42 | +84,000 | 6,900 | 3,760 | 6,600 | 45 | 45 | 2 | 8 |
北上 | CL | 52 | +196,000 | 7,100 | 2,567 | 6,600 | 45 | 35 | − | 8 |
NFスペック | 武装1 | 武装2 | 武装3 | 武装4 | 武装5 | 武装6 | 武装7 | 武装8 | 武装9 | 武装10 | 武装11 | 武装12 | 武装13 | 武装14 |
球磨 | 33 | 33 | 33 | 33 | 42 | 42 | 42 | 42 | 33 | 33 | 33 | − | − | − |
球磨改 | 43 | 43 | 42 | 42 | 42 | 42 | 42 | 42 | 43 | 43 | 43 | − | − | − |
北上 | 33 | 33 | 33 | 33 | 47 | 47 | 47 | 47 | 47 | 47 | 47 | 47 | 47 | 47 |
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