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重巡洋艦「最上級」(CL) ('03.1.17)

   素材提供いやぽぽ様
「最上」改装後

 
「(C)2002 SD EnterNET/SUCCESS/GAMESPACE24」

大正11年ワシントン条約は巡洋艦などの補助艦艇の基準は決められたが、保有量は取り決めがなかった。そこで昭和5年(1930年)にロンドン軍縮会議が開かれ、補助艦艇の保有量を決定、ロンドン条約が調印された。この時すでに重巡洋艦の保有数が条約規定数に達していた日本は、条約の網の目をくぐり、船体は重巡(主砲20.3センチ以下)、艦砲は軽巡(同15.5センチ以下)で有事の際、20.3センチの主砲に換装が可能な軽巡を計画した。これがのちの「最上級」の原型となる。しかし、日本の建造枠は総排水量で36000tたらず、4艦を計画したため1艦当り8500tたらずの枠しかなかった。ところが、海軍の要求は三連装15.5センチ砲五基、六一センチ三連装魚雷発射管四基、速力三七ノット、20.3センチ砲に対応する防御と、過酷なものとなっていた。このような状況下、昭和9年の友鶴事件、昭和10年の第四艦隊事件をきっかけに、連合艦隊全艦船にバランス不良の過度の重武装、軽量化に対する安全性のチェックが入り、竣工前の最上型は強度不足とされ、補強工事が追加された竣工時は1万2000tになっていた。ロンドン条約破棄後、主砲を正8インチ(20.3センチ)砲に換装され、重巡として生まれ変わった「最上級」の15.5センチ砲は当時予定されていた戦艦「大和級」の副砲、軽巡「大淀級」の主砲に使用される予定になっていた。開戦時を重巡として迎えた「最上級」4艦は第七戦隊を編成、マレー、ジャワ攻略、バタビア沖海戦などに参加。ミッドウェー海戦時に「最上」と「三隅」が衝突、「最上」はこの修理に際し水上機11機を搭載できる航空巡洋艦に改装されたが、「三隅」は米艦載機の攻撃で沈没、太平洋戦争初の重巡の沈没となった。


一番艦「最上」
昭和19年10月西村艦隊所属でレイテ沖海戦に参加、10月25日未明米艦隊の砲撃で損傷さらに志摩艦隊所属重巡「那智」と衝突、その後米艦載機の攻撃を受け航行不能、自軍雷撃処理される。改装:昭和15年4月12日 主砲塔改装   昭和18年4月30日 航空巡洋艦改装

二番艦「三隅」
昭和17年6月5日ミッドウェー海戦にて「最上」と衝突、翌6日米艦載機の攻撃で沈没。改装:昭和14年12月30日 主砲塔改装

三番艦「鈴谷」
昭和19年10月25日朝レイテ沖海戦にて、サンベルナルジノ海峡を抜けた太平洋上で米護衛空母艦隊と遭遇。米艦載機80機の攻撃を受け至近弾により搭載魚雷に誘爆、轟沈。

四番艦「熊野」
昭和19年10月レイテ沖海戦にて米駆逐艦の雷撃を受け中破、帰投中サマール島沖で米潜水艦の雷撃を受け航行不能に、その後米艦載機の空襲にて撃沈。

   素材提供いやぽぽ様
「三隅」

 基準排水量/ 12,300 t 
 全長/ 200.0 m
 最大幅/ 38.9 m
 喫水/ 5.9 m
 速力/ 35ノット
 航続距離/ 18ノット時8000海里 
 兵装/ 20.3センチ連装砲 5基(最上改装後 3基)
       12.7センチ連装高角砲 4基
       25ミリ連装機銃 4基
       13ミリ連装機銃 2基
 乗員/ 930名
 搭載機/ 水上機 3機(最上改装後 11機)

 

 

NFスペック クラス レベル 価格 耐久力 基準排水量 満載排水量 射撃管制装置 機関 偵察機 乗員数
最上(1938) CL 39 588,000 7,800 6,016 14,146 53 80
最上(1941) CA 51 588,000 10,600 6,116 14,146 65 80
最上(1944) CV 50 588,000 9,500 7,600 14,142 53 80  
NFスペック 武装1 武装2 武装3 武装4 武装5 武装6 武装7 武装8 武装9
最上(1938) 110 110 110 55 55 55 55 110 110
最上(1941) 151 151 55 55 55 55 55 151 151
最上(1944) 136 136 136 55 55 55 55

 

 日  本 

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