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日本海軍の新鋭駆逐艦「陽炎」級に対抗する為に1940年度計画で119隻、41、42年度戦時計画で56隻が建造された艦隊型駆逐艦。ちょうど太平洋戦争の勃発にあたっていたために175隻という大量な数が建造された。この数字は単一の艦型としては、アメリカの駆逐艦のなかでも最大のものである。
39年に設計に着手当時は以前の型と同様に1,500tクラスの艦型でまとめられることが考えられていたが、速度の向上を図って機関出力を増大したり、外洋での行動を考慮して船体強度を増すなどの要求を盛り込んだ結果、基準排水量は2,050tに達し従来の駆逐艦を大きく越える大型艦として完成した。
艦首楼型に替えて平甲板型を採用し、排水量同様に寸法的にも余裕が生まれ、ゆとりあるレイアウトが可能になった。その結果として建造中に対空兵装の増強や、改装による兵装の追加などが実施された際にも魚雷発射管や主砲を降ろすことなく増設ができたことは特筆に価する。
武装は前作の「リバモア」級と同じだが、12.7センチ両用砲はすべて砲塔に収められて搭載され、5連装53.3センチ魚雷発射管も前後に一基ずつ装備している。当初は艦橋前部が丸みを帯びた形状で回廊が未装備となっていたが、建造を簡略化するためピーアズ(DD−654)より艦橋前部を角形とし、艦橋前周に回廊が設けられ、建造時から40mm連装機関砲5基を装備しており、本艦を境に前期型、後期型に分類される。また大戦中に機銃増設や大戦装備の充実などが度々行なわれたが、これは艦ごとに変化が見られる。42年から44年にかけて全艦就役、大戦中期以降から太平洋、大西洋において、米駆逐艦陣の主力となって縦横に活躍し、19隻が失われたが、生存性も高く期待通りの活躍を見せ、戦後は各国に供与された艦も多い。
なお本級のうち初期の3隻(計画では6隻)は、一時3番砲塔と2番魚雷発射管の代わりにカタパルトを試験的に装備して就役し、パーシバル(DD−452)とワトソン(DD−482)は、機関部の試験艦にしてされたが、未完成で終わった。またDD−503〜506は、やはり試験的な小型駆逐艦で、計画だけにとどまった。
諸元 排水量 |
「フレッチャー級」 基準2,050t |
NFスペック | クラス | レベル | 価格 | 耐久力 | 基準排水量 | 満載排水量 | 射撃管制装置 | 機関 | 偵察機 | 乗員数 |
フレッチャー | DD2 | 14 | 36,504 | 5,600 | 1,284 | 2,750 | 35 | 30 | − | 7 |
NFスペック | 武装1 | 武装2 | 武装3 | 武装4 | 武装5 | 武装6 | 武装7 |
フレッチャー | 39 | 39 | 33 | 33 | 39 | 39 | 39 |
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