2006.5.14 海上自衛隊護衛艦 艦番DD−125「さわゆき」体験航海
ひょんなことから、まったく突然にその幸運はやってきたのだ。
木曜日の晩、知り合いからの電話に我輩の血圧は血管破裂寸前まではね上がった・・・それはチケットが手に入ったがご本人は静浜基地に行く予定があって行けないから代わりに行かないか?との天使の囁きであった。この恨み晴らさずに・・・ではなく、この機会逃さずにおくべきか、なのである。
金曜日にご本人といつものBARで待ち合わせてチケットを頂いたのである。
高校生バンドのコンサートチケットでも、今時はもっと気が利いていそうな古風なチケットが実に雰囲気を醸し出しているのである。
なお、サーバーの容量と相談しつつ、出来る限り大きなサイズの画像をUPしたいと思っているが、「借り物」の8Mクラスのデジカメで撮った元データはあまりに大きすぎてそのままとUPする訳には行かず、サムネイルからの拡大版(枠つきは大きい画像にリンクしている。)もかなり画質を落とさざるを得ず、かつ、数も制限せざるを得ない事情は、賢明なる諸氏にはご理解いただけると勝手に思い込む次第である。また、「借り物」のデジカメで撮った写真は、天候ともあいまって当然の如く不肖宮島のような逸品には成り得ないのである。諸氏にはよろしくご推察の程お願い申し上げる次第である。また、「始めに」をお読みいただいた諸氏には当然であろうが、NET上にUPしてしまったソースは「自由」に使ってもらって構わないのである。ただし、「自由」と言う単語は「ルールの範囲内で」と言う言葉とセットであるので、直リンはしないなど最低限のnetルールは守って頂きたい次第である。
天気予報は雨なのである。諸氏ご存じの通り1ノットは約1.8km/hなのである。いかに湾内といえども護衛艦なのである。10ノットで約18km/h、20ノットだと約36km/hなのである。チャリンコをぶっ飛ばして傘など使えないのである。当然カッパが必要なのである。土曜日、急遽カッパを買いに行く事となった我輩に母上さまは、トイレットペーパをついでに買って来いと仰せになったのである。哀しくもダイクマで「広告の品@278のシャワートイレ用シングルエンボス加工×2ケ」も買う羽目になったのである。
2006.6.14 05:30
いつもならありえない時間に起床である。雨は降っていない。
最寄り駅06:30発の電車に乗る予定であるが、名物の駅そば「にしんそば」で腹ごしらえをするべく06:15にはホームに着く。が、しかし!なんと上り線ホームのお店は灯りが点いているのにシャッターが閉まっているのである!見れば下り線のホームではちゃんと営業しているのであぁぁる!!階段を上がり降りして電車に間合わなかったらあまりに悔しいので泣く泣くあきらめたのである。開店前のシャッターの隙間からはカツオだしの良い香が漂ってくるのである・・・この15分の長い事は筆舌に尽くし難いのであった。天候がなんとか持ちそうな気配がせめてもの救いと予定通り電車に乗る。
07:59 津田沼駅に到着すると雨が!こんな時の無駄な出費は大歓迎なのに・・・・カッパの出番がありそうである・・・・「にしんそば」と合わせたショックで血圧は上がったままなのであった。レポーターとしては、到着駅の時計、送迎のシャトルバス等々もカメラに収めるべきであったのだが後の祭りである。残った画像は会場である埠頭に着いてからの画しかないのである。
工事現場でも使う軸流送風機で膨らましているアーチなのだ なぜか地元のライオンズクラブが焼きそばを売っているのである
味見は退艦後になってしまった・・・腹減った・・・
当然「さわゆき」のスペックを調べてから行ったのだが、ここではMASDFさんの力を勝手にお借りして先に進みたいのである。
「はつゆき型(級)護衛艦」
http://weapons-free.masdf.com/sea/japan/hatsuyukidd.html
シャトルバスで会場に着き、受付を済まして一服するまもなくアナウンスが流れたのである。
「乗艦は08:40から始めます」
慌てて上着とチョッキを脱いで昨日購入したカッパの上だけ着込み、そそくさと左舷中央後よりにある乗艦口に向って行くと、すでに50人ほどが並んでいたのである。白い制服(さすが海自!)に身を包んだ割とかわいい若い女性海士殿が甲斐甲斐しく行列の人々にインフォメーションしているのである。彼女に「何人ぐらい乗艦するのですか?」と聞いてみたら「昨日は400人ぐらいでしたが、今回はちょっと少ないかもしれません」とのお答えである。割と大きめな胸の右にある小さなネームプレートをそっと見ると千葉地連(!)のお方・・・地連も白い制服着るのかぃ・・・でも可愛いから許しちゃう(?)なのである。
62口径76mm単装両用速射砲 MK-112 アスロックSUM8連装発射機
(言ってもたかが3in砲である・・・やっぱり小さい) (ヘッドセットをした海士殿がカッコイイのである。)
ハープーンSSM 連装発射機(4連装のはず・・・?) 6連装チャフ発射機(たぶん・・・)
(おしりのデフレクターに注目)
慌ててカッパを着込む人もいたが周りは傘をさしつつ列に並んでいた、前半にいる人では我輩のみカッパ姿なのである。
並びつつ目に付いた兵器に思わずシャッターを切った。「借り物」のデジカメが濡れる!初手から雨との格闘になったのである。
乗艦すると艦尾側に通路が設けられていたのである。順路かと思って前の人について行くとヘリ甲板下の最後部にシースパロー発射機がデデンと鎮座ましましていたのである。右舷側にヘリ甲板へ上がるタラップがあってこれも順番待ち。後で気付いたのだが、上がらずに右舷側の通路から直接艦首の方へ行けたのである。人が並んでいれば列の後ろに続くのが「日本人」の悲しいサガ・・・これが失敗の始まりであった。
MK-29シースパロー8連装発射機 ヘリパッド
(タラップを待ちつつ、チャンスを狙ってシャッターを。
残念ながらおケツの見えているSAMはダミー)
ヘリ降着管制室 ヘリ格納庫
(半分写ってる海士殿はシャッター直前に逃げられてしまった・・ (晴れていれば、艦長の挨拶等行なわれたであろう。
LSO(着艦誘導士官)が右画の格納庫上の矢印表示灯を操作) 格納庫内には演壇があった。管制室は右端階段後にある。)
右舷HOS301D3連装短魚雷発射管 62口径76mm単装両用速射砲塔後部
左手に見えているのはタグボート 各装備には諸元表がぶらさっがていた。
艦橋の全面には艦橋直前にあるアスロックランチャーのコーションプレートが付いていた。
こんな写真を撮るのは我輩ぐらいであろうか・・・
右舷甲板を艦首方向に進んでいくと行列が出来ていた。ここで雨がひどくなって来たのである。艦首の画が撮れない・・・・
しかたなく艦尾方向に戻り何の行列か聞けば艦橋に上がる為の行列との事である。下に降りるのはすぐいけるとの事だったので迷わず下へ降りたのであるが、階段は艦首方向に向いていたのでそのまま進むと「この先はトイレだけです」とのつれない一声・・・先に言ってくれよ・・・仕方なく戻って行列に加わる。並んでいる時に丸窓を覗くとお偉いさんがくつろいでいるのである。中は士官室らしく、あとで聞いたら司令部の部屋らしいのである。
窓にレンズをくっつけストロボ強制停止して一枚頂いた。
左のオレンジのパーカーの人は恐らくライオンズクラブの人、右手前の女性は一日広報係士官の田島有希さん(誰?)という方らしい。後にこの写真を拡大して判明したのだが正面は第21護衛隊司令 野島一等海佐殿。
並ぶのである・・・ひたすら待つのである。知らないというのは不利なのである。艦橋と艦橋レベルのデッキは狭いので人数制限をしているのである。降りる人がいないと一生上がれないのである。ヘリパッドは、広いし、何も無いし後から行っても良かったのである。知っている人はさっさと艦橋に上がったのであろう、なかなか降りてこないのである。雨はますますひどくなり「借り物」のカメラを出すのは恐いのである。待つ事15分雨が小降りになった頃やっと上がれることとなった。
艦橋に上がる急で狭い階段を上がると、艦橋内は人でいっぱい・・・強制的に右舷側からデッキに出されてしまった。デッキに出て最初に目に飛び込んできたのはCIWSであった。
艦首側から 艦尾側から 艦尾側から見た給弾装置
艦首側から見た給弾装置 USSの艦艇は劣化ウラン弾を使っているが海自は通常弾頭らしい
CIWS(Close−in Weapon System)通称ファランクス(PHALANX) USSでは「シーウィズ」と発音すると翻訳物の小説には書いてあったが、海士殿聞いたところ海自では「シウス」と発音するするとの事である。シースパローで撃ちもらした対艦ミサイルを最終迎撃する為に専用パルスドップラーレーダーとリンクして初速1000m/秒、3000発/分(50発/秒)の弾幕を張るのである。携行弾数は989発(約20秒で撃ちつくす)しかないが有効射程約2,200mはミサイルの速度ではほんの2〜3秒で通過するので、こいつが働いた時には迎撃できても直撃を免れるだけで艦の被害は避けられないと思われるのである。USS艦艇の劣化ウラン弾は比重が鉄の約2.5倍もあり、弾頭に炸薬はない。簡単にいえばマッハで飛んでくるミサイルに、やたらと重たいパチンコ玉をぶち当ててぶっ壊すのである。
そうこうしているうちに金剛丸とみつばの2隻のタグが埠頭からバックで艦を引っ張りだしたのである。やっと出港である。
タグが離れて自力航行を始めると、右舷艦橋甲板では航路の確認が始まった。
測距儀と方位盤で堤防の出口近くのブイとの相対位置を確認して航路にのせるのである。
「両玄機原速、進路270、取り舵一杯、もーどせー、進路270 よーそろー」
海図台 海上レーダー
速度指示器(正式名称判らず・・・) なんとか撮った艦長 大保三佐の後姿
木更津基地所属の救難ヘリが上空をパスしてくれた。 艦内放送が良く聞こえないのが不思議だった「艦首76mm砲のデモを行ないます」
何度か両舷を前後にパスしたのだが撮れたのは と言ったのか?気付いたら終わっていた・・・続いてアスロックランチャーの・・
この一枚だけ、あとは空しく空だけが写っていた。 アスロックランチャーの頭がチラッと見えただけで位置をキープした時には終わっていた・・・
艦橋が順番待ちなのは判っていたので艦内も見てみたいと思い下に降りることにした。しかし、これも失敗だったのである。
先に下りたタラップで下に降り、艦首方向はトイレだけと判っていたので、後はok?とタラップについていた海士殿に聞けばokとのことである。
艦橋下から艦尾方向に向う右舷側の通路の先は機関制御室と食堂があるとのことである。
右舷側入り口から見た制御室 制御室右舷側にあるダメージコントロール制御盤
よく観ると盤の上側に艦の配置図上に各機器の状態を示す表示灯があるのが判る。
おおよそ艦中央部ちょっと艦首よりぐらいに位置すると思われる機関制御室。
丁度この部屋に入ったときに艦橋からの指示がMCに入ってきた。「両舷機第二戦速!」
担当士官が復唱する「両舷機第二戦速!アィ!」
盤正面にある速度計の指針がぐんぐんと右に回転して行くのだ。
戦速の意味を担当士官殿にお聞きしている間に第一戦速に減速・・・・
担当士官殿は非常に丁寧にお答えくださった。
速度は3ノット刻みに最微速3ノット、微速6ノット、半速9ノット、原速12ノット、強速15ノット、第一戦速18ノット、第二戦速21ノット、第三戦速24ノット、第四戦速27ノット、最大戦速30ノットと決められているのである。そして指示器には「一杯」との指示項目がある。これは巡航タービンで航行中でも、+メインタービンで航行中でもとにかく「機関一杯」で動かすと言う意味だそうだ。当然速度は変わるのである。+メインタービンで「一杯」にすると32ノットぐらいは出るらしい。巡航タービンで一杯だと強速よりちょい早いぐらいとの事である。COGOG方式とは元々燃費の悪いガスタービンの欠点を補う為に通常は巡航タービンだけで、高速時はメインタービンをプラスして動かす方式のこと。
ダメージコントロール盤の後には姿勢表示機が有った。 「亡国のイージス」をご覧になった方はお判りでしょう。
艦内に居ると艦の姿勢も時間も分からなくなるとの事。 各部署との間をマイクで繋ぐ通信機。
ローリングとピッチングを表示できる。
ここで時間を使っているうちにまた良く聞こえない艦内放送が・・・「後部甲板にてシースパロー発射機のデモを・・」続いて「ヘリパッドで海士によるロープワークのデモを・・・」またしても見逃したのである。
食堂ではアイスと飲み物を売っていた。奥には「さわゆき」オリジナルのグッズも売っていたがほとんど売り切れ・・・。
さわゆきのロゴの入ったLEDライト付き150円ライターを御土産用に買って、最後に残った柏葉刺繍の入ったキャップを買おうか一瞬迷った隙に、OBと思しきおじさまに先に買われてしまった。ショックで先に買ったライター3ケもカウンターに置いて来てしまった・・・気付いたのは帰りの電車の中・・・後の祭りである。
ここではたと艦尾にはためく旭日旗を撮っていない事に気付く。
艦尾側の出口からアスロック甲板に出てヘリパッドから一枚 ヘリパッドには一日広報士官の田島さん(誰?)と隊士が。
左から石原二等海曹、田島一尉(!)、加藤機関三尉。
食堂にいるうちにいつの間にかUターンして埠頭に戻る進路に乗っていた。今度は割とアッサリ艦橋に上れ、右舷側に位置を確保したのである。
あっという間の2時間であった。埠頭が近づく。 左舷防舷材よぉーい
みなさんお出迎え。 舫い綱の先にロープを付け埠頭へ投げると
数人で順番にぐるぐる廻りながら引っ張る。
接舷後も降りるのに時間が掛かるのである。少なくとも300人は乗っているである。
慌てても仕方がないと艦橋脇でのんびりとマストなどをカメラにおさめていた。
近くで「お疲れ様でした!」との声が。胸に勲章のの略章を一杯つけたお方が一服していたのでご一緒させていただく。
なんとなく気になって「写真を一枚」とお願いしたところ、副官と思しきお方が一緒にどうぞといって撮ってくれた。
恥ずかしいので本人の顔はモザイクで・・・ 離艦時には敬礼! <(`-´)で御見送り やはり現役の敬礼はカッコイイのである。
胸には司令官のプレートが・・・
名残惜しいのである・・・しかし腹減った・・・すかさずライオンズクラブのテントで焼きそばを買って腹に収める(この表現がぴったりのガッツきよう・・・(T.T))
その後も埠頭から艦の外見を撮りまくるのである。
中央で手旗信号を送っているのが判るであろうか?。
午後の体験乗艦に来ていたボーイスカウトの子供達に送っていたのである。
こうやって並べると水平線がズレズレである・・・不肖宮島のようなプロには撮れない逸品である
実は、写真を撮って頂いた時は野島司令官の階級も御名前もしっかり確認していなかった我輩は、離艦後に朝の地連のお姉さんを探してお聞きしたのであるが、ご本人は判らなかったらしく上官に聞きにいってくれた。彼女のあとを追って地連のテントのそばまで行くと上官と思しきお方が「取材ですか?」と怪訝なお顔。「いやいや、艦上で写真を一緒に撮ってもらったので御名前が知りたいのです」と手帳を出してメモを取る準備をしていたら、その上官と思しきお方の態度が一変。「失礼しました。第21護衛隊の司令官は野島豊一等海佐です。」と教えてくれた。我輩は普段使わない「衆議院手帳」を手にしていたのである。
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