第一次ソロモン海戦(サボ島沖夜戦)('03.5.15)

ミッドウェー海戦の敗報間もない1942年8月7日、日本陸軍がガダルカナル島北東部に平野切り開いて飛行場(アメリカ名ヘンダーソン飛行場)を建設を進めていたが、完成間もない時期を狙ってアメリカ軍が上陸作戦を敢行、開戦以来押されっぱなしだったアメリカ軍による南方方面での本格的な反攻の始まりだった。

ソロモン諸島の南端にあるガダルカナル島の名前をまったく知らなかった日本海軍指導部の右往左往ぶりをよそに、現地での対応は迅速だった。この方面を担当する位置にあった第八艦隊の三川軍一中将はただちに艦隊を編成してラバウルを出撃。第八艦隊を中心として「重巡・・鳥海、青葉、加古、衣笠、古鷹」「軽巡・・天龍、夕張」「駆逐艦・・夕凪(神風級)」の8隻編成で旗艦「鳥海」には三川中将が座乗していた。当初の作戦計画では、ガダルカナル島とフロリダ島の間の海峡に展開していると予想されるアメリカ輸送部隊に単縦陣で突撃。一過性の攻撃で、これに壊滅的打撃を与えるというものだった。

これは一見無謀な殴り込み作戦に思もわれた。少なくとも海戦が展開される以上、それなりの艦隊編成をする必要があり、巡洋艦戦隊だけでの単独攻撃は、歩兵を伴わない戦車の小部隊が敵師団に突入するようなものである。

8月7日14:00 ラバウルを出撃した三川艦隊はブーゲンビル島の北側を南方に急航し、翌8日04:00「鳥海」の水禎4機を発進させてガダルカナル泊地の索敵を実施した。各艦では乗組員がいずれも戦闘服に着替え、昨日までの半袖半ズボンの防暑服と違ってものものしい緊張感がみなぎっている。正午頃、艦隊上空をガ島攻撃を終わってラバウルに帰る友軍機が飛んでいった。壮絶な奮戦を物語るように、三々五々、疲れきったように帰途に着く攻撃機の姿だった。

索敵機からツラギ沖に重巡1、駆逐艦3、商船4、そしてガ島泊地には軽巡2、駆逐艦4、商船15の報告が入る。いよいよ突撃行動の開始だ。ただ心配なのは敵空母の所在が不明なことだった。日没近く、艦隊はその夜の戦闘に直接必要なもの以外の可燃物を海中に投げ捨て、弾薬庫の漲水基弁を開いて敵弾による火災防止に万全を期した。

8日21:00 敵上空を照明するための水禎3機を発進、艦隊はフロリダ海峡の入り口、ガ島の北側にあるサボ島を回り込んでガダルカナル泊地へ向け旗艦「鳥海」を先頭に単縦陣26ノットの戦速で突入していった。前方左手はるか遠方のツラギ泊地上空が赤く染まっている、昼間、攻撃機隊の餌食になった米船の火災である。

22:40ついに「戦闘用意」が下命された。先頭の「鳥海」から1300mの間隔をおいて、「青葉」「加古」「衣笠」「古鷹」「天龍」「夕張」「夕凪」の順でこれに続いた。まもなく「鳥海」は約9000m前方に敵艦影をみとめ、ただちに「戦闘」が下命されるが続いてすぐに「発砲の命あるまで撃つな」の指令が全艦に飛ぶ。敵艦影は一隻で哨戒駆逐艦のものだった。敵艦は4000mの近くに接近しながらゆっくりと反転、続いて左舷に別の哨戒駆逐艦が現れたがこの艦も三川艦隊を見逃した。敵の哨戒網を突破した三川艦隊はサボ島を左手に見ながらスレスレに航過し、

23:33いよいよガ島泊地に向け「全軍突入せよ」の命令が下った直後、「左舷7度に敵巡洋艦!」旗艦見張員が約15000m離れた艦影を発見、これは駆逐艦「ジャービス」だった。「鳥海」は照準距離4500mまで待って魚雷4本を発射したが命中せず、続いて右舷見張員より「右舷9度に巡洋艦三隻右に航行中!」の報告が入る。「鳥海」はこれを攻撃する為に取り舵変針とともに、上空待機中の水禎に「照明開始」を下命した。同機はルンガ泊地の海岸寄りに吊光弾を投下し、みごとな背景照明を行なった。右舷の敵はオーストラリア重巡「キャンベラ」とアメリカ重巡「シカゴ」で500mの単縦陣をなし、その右前方1200mにクレイブン級駆逐艦「バークレイ」左前方同距離に駆逐艦「パターソン」を配し南方水道を速力12ノットで哨戒中であった。「鳥海」は23:47、「キャンベラ」に魚雷4本を照準、距離3700m。「撃ち方はじめ!」の命令に魚雷は一直線に疾走を開始、同時に20センチ主砲10門がピタリと敵艦を捕らえていく。突如、闇の彼方に閃光がはしり、「キャンベラ」の艦首に魚雷2本が命中、同時に主砲が火を噴いた。たちまち命中弾を受けた「キャンベラ」は傾いたまま停止した。つづいて全艦が砲雷撃の火蓋を切り、「シカゴ」は左舷艦首に魚雷1本を被弾したが幸運にも戦場を離脱、「パターソン」は命中弾により砲2門が使用不能、「バークレイ」は三川艦隊の後尾部隊を雷撃したが命中せず、そのまま遁走した。

三川艦隊は一方的に敵を蹴散らし、わが身は一弾も受けずに浅く左に転針してゆく、その間わずか6分の出来事だった。
このころ、5番艦「古鷹」は舵に故障を起こして(*1)大きく左に転針、そのまま本隊とは分離航行、これを「天龍」「夕張」が追尾、「夕凪」は味方を見失い、単独行動となってしまう。ここで艦隊は二列陣形となってしまったが、これが結果的には好結果をもたらす事となる。サボ島を中心に反時計周りに進路を取っていた「鳥海」はサボ島の北方、艦隊の右舷に敵艦影を発見。これはアメリカ重巡「アストリア」「クインシー」「ヴィンセンス」とクレイブン級駆逐艦「ヘルム」「ウィルソン」の5隻で、速力10ノットで北方水道を哨戒中のだった。アメリカ艦隊は照明弾を確認、発砲音も聞いていたが「シカゴ」が日本軍機を迎撃しているものと誤認していた。

このアメリカ艦隊に対し「鳥海」が探照灯を照射した。闇夜に探照灯を照射すると敵の集中攻撃を受ける事となるが、旗艦が率先して照射するのは日本海軍の伝統となっていた。これにより分離行動していた「古鷹」隊も視認、幸いなことに挟撃するような位置関係にあった。ただちに砲雷撃を開始した第八艦隊は初弾から命中させていく。「アストリア」は両舷からの攻撃を受けてたちまち戦闘能力を失い速力も低下、やがて弾薬庫が誘爆して轟沈。「クインシー」と「ヴィンセンス」はカタパルト係留されていた艦載機が被弾炎上、格好の攻撃目標となってしまい、「クインシー」は十字砲火を浴びたうえ「天龍」の発射した魚雷が左舷第4缶室に命中、転覆轟沈。「ヴィンセンス」も十字砲火を浴びて脱出を敢行するも「鳥海」隊からの魚雷3本を左舷に被弾、さらに「古鷹」隊からの魚雷1本も命中して弾薬庫が爆発、3艦とも反撃の機会を得ないまま轟沈してしまった。駆逐艦2隻は重巡に集中する攻撃の合間を縫って脱出した。

これで敵戦闘艦はほぼ壊滅状態に出来たが、肝心の輸送船団は健在であった。第八艦隊の被害は「鳥海」の作戦室に飛び込んだ不発弾1発のみだが、机上の作戦海図が吹き飛んで紛失してしまった。海図なしで敵中を航行することは極めて危険なことである。さらに戦闘隊形を再度整えて輸送船団攻撃を行なえば夜が明けてしまい、ラバウルまでの長い道中に、敵空母艦載機の攻撃を受けてミッドウェーの二の舞になりかねない。そう判断した三川中将は00:23、「全軍引け」「艦隊戦速30ノット」を下命し、夜が明けないうちに敵空母艦載機の制空権外の北方へと脱出した。だがこの時、米機動部隊は三川艦隊の追跡にまったく意欲が無くひたすらソロモンから南下を続けていた。

当時のアメリカ艦隊は、すでに対艦レーダーを装備していたのにもかかわらず、最大戦速で突入した日本艦隊を発見できず、撃沈:重巡4隻(キャンベラ、アストリア、クインシー、ヴィンセンス)大破:重巡1隻(シカゴ)中破:駆逐艦2隻(パターソン、ラルフタルボット)の大戦果を上げ、自軍には1隻の損害もなく意気揚揚と帰途についていた翌10日07:10、突然「加古」の右舷に大きな水柱が上がった。「加古」の右舷約1000mの海中に潜んでいたアメリカ潜水艦「S44」の放った魚雷4本のうち3本が艦首、中央部、後部に命中、もともと左右缶室の船体中心線に隔壁があり雷撃に対して弱点のあった「古鷹」級の「加古」はその欠点を露呈してしまい、特に缶室のある中央部の命中弾は致命傷だったと思われる。浸水が右側に片寄ったため大傾斜して5分後には沈没してしまった。しかし、「古鷹」級の戦闘力の高さが証明された戦いでもあった。

この海戦で撃ちもらしたアメリカ上陸部隊とヘンダーソン飛行場は、日本軍のその後の戦闘で大きな障害となり、アメリカ軍は後の大消耗戦の橋頭堡を確保する事となった。

(*1) 炎上中の敵艦を避けるために転針したとされる資料もあります。

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